人們對布雷德的英國時代知之甚少,當他在 1590 年左右移居德國並作為布蘭登堡侯爵的宮廷管弦樂隊的小提琴手活躍時才首次有記載。從那時起,他擔任過各種職位,包括在丹麥哥本哈根的克里斯蒂安四世宮廷、在比克堡-荷爾斯泰因-紹姆貝格的腓特烈三世宮廷和馬格德堡大主教宮廷。
順帶一提,在布雷德活躍於德國的時候,外國的音樂風格正在融入他們自己的音樂中,並得以進步。在 1609 年漢堡出版的布雷德作品選集中,他採用了 J. Dowland、P. Phillips 和 W. Byrd 等英國作曲家的風格,引入了他們的音樂,也引入了當時在德國並不為人熟知的舞曲。
(也是在1612年德國出版了介紹法國舞蹈的著名舞曲集《Terpsichore》(M. Pretorius),讓我們對當時德國的音樂狀況有了一個大概的了解。)
在靈活編制編曲中,收錄五首布雷德的舞曲:
國王的序奏
蘇格蘭舞
蘭達島
兩首德國舞曲
ウィリアム・ブレイド(William Brade 1560-1630)はイングランド出身の作曲家、ヴァイオリニスト、ヴィオラ・ダ・ガンバ奏者で、おおよそルネサンス後期からバロック初期に活躍しました。
ブレイドのイングランド時代についてはほとんどわかっておらず、1590年頃にドイツに渡り、ブランデンブルク辺境伯の宮廷オーケストラのヴァイオリニストとして活動していた頃から初めて記録に現れます。その後、デンマーク・コペンハーゲンのクリスチャン4世の宮廷や、ビュッケブルク・ホルシュタイン=シャウムベルクのフレゼリク3世の宮廷、マクデブルク大司教の宮廷楽長など、様々な職を歴任しています。
さて、ブレイドの活動した当時のドイツでは、自国の音楽語法に海外の音楽様式を取り入れ、大きく発展しようとしていました。1609年にハンブルクで出版したブレイドの作品集では、母国イングランドの作曲家であるJ.ダウランドやP.フィリップス、W.バード等の様式を取り入れてその音楽語法を紹介し、その後ブランルやヴォルタ等の、当時ドイツではなじみの薄かった舞曲も紹介しています。
(1612年には同じくドイツで、フランス舞曲を紹介した有名な舞曲集「テルプシコーレ」(M.プレトリウス)が出版されており、当時のドイツの音楽状況が想像できます。)
今回のフレキシブルアンサンブルのための編曲では、ブレイドの舞曲から
王のイントラーダ
スコットランド舞曲
コランタ
2つのアルマンド
の5曲で構成されています。